東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センターOB,OGのJCR評議員の皆様へ

東京女子医大リウマチ痛風膠原病センター
以前研修に行かせていただいた東京女子医大リウマチ痛風膠原病センターの山中センター長先生からメールをいただきました。院長が研修に行ったときに親しく教えていただいた先生です。
共学の広大付属高校出身の院長ですが、OB、OGあてというのがびっくりです。OB、OGというのはover boy, over girlのことらしいのですが女子校ならでは表現ですよね。JCRというのは日本リウマチ学会のことで、院長は経歴を評価していただいたと思える評議員なので理事選挙に一票投じる資格を持っているのです。女子医大系の広島県の評議員はたぶん3人だけです。
学生の時に心臓血圧研究所、整形外科医になってから膠原病リウマチ痛風センターと二度も東京女子医大に研修に行かせてもらいました。短い期間でしたが生涯のなかでほんとに大きな財産です。
どちらも日本最高水準の施設です。東京女子医科大学は名前の通り女子大なのですが卒後に医師として入るのは男子でもかまいません。まだ医学生の時分に心臓の治療に関しては当時日本トップクラスだった東京女子医科大学で勉強したみたいと思って夏休みに研修に行きました。
新宿曙町、当時は日本テレビの社屋も近かったのですが東京女子医大心臓血圧研究には私のような研修希望の医学生も全国からたくさん来ていました(男子ばかり)。
当時在学していた大学病院の治療成績が良くないと学生の間でも噂でしたので東京に見学に行こうと思ったのです。上京してビジネスホテルも取っていたのですが、初日に心臓血圧研究所(当時心研として知られていました)に行くと、見学の学生さん?外科?泊まりよね。と心臓外科志望なら病院に泊まり込みは当然という感じで、その夜は新宿の病院から帰れず医局の長椅子に寝ることになりました。心研の研修医は集中治療室の丸椅子で患者さんを診ながら徹夜というのが普通なので長椅子で寝ることができるのは見学生ならではの特別待遇でした。研修医になると一週間のうち半分帰宅できれば良しという、過酷ないまでいうとブラックな生活でした。
その後入局した広島大整形外科では夜12時前には帰れないことも多かったけど泊まり込み当然ということはありませんでした。当時心研で一緒に研修した仲間(金沢大と東海地方のどこか、名前も覚えていませんけど)いまどこでどういう仕事をしているか、ときに思い出して気になります。
当時の心研にいた先生に言われたものです。一生を医療のために棒に振ってもいい覚悟があるなら心研に来てもいいと。心臓外科医で日の当たる場所にいられるのはわずかなエリートだけということでした。その後30年も経ちましたがいい治療をするスペシャルな医師として毎日診療している立場としてまったく後悔することはありません。院長に診てもらうために遠くからでも来ていただく患者さん、それは東京女子医大病院に全国から通院される患者さんと同じだと思います。
近年東京女子医大病院の手術はいろいろな問題を取りざたされていますが(リウマチ痛風膠原病センターを除く)、人生のすべてを傾けて診療していた当時の心研の先生たちを見た院長としてはそんなことはないと思いたいです。